名古屋地方裁判所一宮支部 昭和33年(わ)175号 判決 1959年4月14日
被告人 名和達雄
昭九・一二・七生 糸商 自動車運転者
主文
被告人を禁錮八月に処する。
理由
(罪となる事実)
被告人は
第一、岐阜県公安委員会に於て、昭和二十九年三月二十九日自動三輪車の、また昭和三十三年四月二十二日小型自動四輪車の各運転免許を受け、実兄の経営する丸和株式会社に於て自動三輪車の運転に従事して来た者であるが、昭和三十三年十二月十日仕事が終つて同僚二人と共に同夜は一宮市内に於て被告人の誕生の祝盃をあげる事となつたので斯る場合被告人自ら自動車を運転して飲食店に赴くのはその帰途酩酊して自動車を運転し、事故を惹起するの危険におち入る虞があるから厳に之を避けるべき業務上の注意義務があるにも拘らず、事茲に出ず、同夜午後七時頃右自動三輪車を運転して順次一宮市内三ヶ所の酒場に至り同所において合計約八合の酒を飲み相当酩酊して同夜午後九時半頃飲食店を立ち出で右自動三輪車を運転した過失により益々酔の度を増し、前方注視並に運転操作能力いよいよ低下し、
一、同僚の笹野清を中島郡祖父江町の同人の自宅に送り届けその帰途右祖父江町より一宮市方面に向い愛知県尾西市祐久字東川田七十三番地先県道を時速四十粁で北進中同夜午後十一時三十五分頃折柄反対方向より自転車に乗り右県道左側を南進中の日比野国成(当二十六年)に気付かず、自己の運転する右自動三輪車の右前部を同人に衝突させて附近の田圃に顛落させ、因て同人に加療約三週間を要する顔面挫創、右大腿挫傷等の傷害を負わせ
二、引続き右自動三輪車を運転し尾西市小信中島字下郷西地内の県道を時速約五十粁で東進中、同夜午後十一時四十分頃折柄前方の道路左端を同一方向に歩行する内藤ふで(当四十三年)に気付かず、同所九番地先路上において右自動三輪車の左前部を同女に追突させて路上に顛倒させ、因て同女を頭蓋底骨折により翌十二月十一日午前一時四十五分頃尾西市東五城字備前森病院において死亡させ
第二、右の通り二回に亙り交通事故を起したのであるから直ちに被害者の救護、所轄警察署に対する届出をし、その指示を受ける等法定の措置を講ずべきであるのに之を怠つ
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
法律に照すに被告人の判示所為中第一の業務上過失致死傷の点は各刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条第三条に、第二の道路交通取締法違反の点は同法第二十四条第一項第二十八条第一号同法施行令第六十七条、罰金等臨時措置法第二条に各該当するところ、右第一の各罪については何れも禁錮刑を、第二の罪については懲役刑を選択し、なお第二の罪については刑法第三十九条第一項、第六十八条によりその刑を減軽し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条により重い判示第一の二業務上過失致死罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を禁錮八月に処するものである。
なお弁護人は被告人が本件犯行当時心神耗弱状態にあつた旨主張し判示各致死傷並に道路交通取締法違反の各所為の当時被告人は相当飲酒酩酊していたことは判示の通りであるが、本件は被告人が右致死傷当時の被告人の所為のみを捉えて犯罪とするのではなく、被告人が飲酒に着手する前にすでに過失があり、本件致死傷はその当然の結果であるとするものであること右判示事実に照し明白であるから弁護人の右主張は採用し得ない。
仍て主文の通り判決する。
(裁判官 熊田康一)